才能と努力

君たちは自分の才能を見つめた場合に

その才能は誰かに

見出だされたものだろうか?

もしくは誰かに教わって磨いたものだろうか?

大抵の者は学校に通って

もしくは何らかの組織に所属して

自らの才能を磨くのだろう。

しかし僕の場合は

詩を書くにあたって

誰かに学んだことは一度もない。

気づいたら自然と詩を書いていた。

詩だけではなく

拙いシナリオも書いたりしていた。

それをゲームのようにノートに書いて

同級生を楽しませたりしていた。

自分に何故詩才があるのかは

答えは見つからない。

ただ僕の魂のルートは

ヨーロッパのロマン派に

あるような気がする。

そう考えると

現在の僕がロマン派の作品を好み

様なヨーロッパの芸術に

親しみを覚えるのも

分かるような気がする。

タイトルの才能と努力だが

多くの者は自分の才能を開花させるべく

日努力を重ねるものだと思う。

ところが僕の場合は

他人からよくこのように言われる。

お前はまるで努力しようとはしない。

どうやら他人からすれば

僕の態度は怠惰で

努力をしていないように見えるらしい。

確かに僕は努力を好まない。

才能だけで詩を書いているところがある。

ただ全く努力していないわけではない。

他人とは努力の仕方が違うだけだ。

先ほど書いたように

多くの者は学校や組織で

先生などの指導者に教えてもらう。

ところが僕はこれができない。

その理由については

後ほど別の記事で書こうと思っているが

僕が先生などの指導者に反抗的なのは

年上にも関わらず

まるで尊敬に値しないからだ。

確かに知識はたくさん身につけている。

しかし肝心の感性が鋭さに欠き

人格がまるで低く見え

低俗極まりないと感じるからだ。

それにやたらと頑張るのは

努力であるとは思わないし

自分にない才能を磨こうとしても

無駄な努力だと思うからだ。

エジソンはこのような

有名な言葉を残している。

天才とは1の閃きと99の努力である

この言葉を大抵の者は

天才も才能は1だけで99は努力なのだ

などと受けとる。

これは体育会系の人に多い

根性主義が生んだ理論だ。

正しくは

もし1の小さく優れた閃きが浮かんだならば

そのために99の努力をしなさい

という意味だ。

つまり自分にはない才能に

努力をするのは無駄だということだ。

多くの者は自分の才能を勘違いしていて

無駄な努力をした結果

夢を諦めるという道を歩む。

それは間違った夢を諦めることによって

正しい道に戻すことを知らせる

天からのメッセージでもある。

僕が努力をしていないと言われるのは

このような無駄な努力を好まないからだ。

僕は幼い頃から詩才を発揮していた。

それを磨くための努力として

優れた文学、絵画、音楽、映画などを

観賞することが

感性を鋭くする磨き砂だと思っていた。

だから低俗な先生などの指導者からは

まるで努力をしていないかのように

怠惰な生活を送っているように見えるのだ。

そういうこともあって

僕の場合は独学で詩才を磨いている。

低俗な連中にあれこれ言われる筋合いはない。

そしてそういう連中に

一切関与されないように

低俗な世間と

ある程度の距離を置くことを好む。

才能とは孤高から生まれるものだからだ。

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